FビザからEビザへ切り替え

カリフォルニアライフ 独り言

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Fビザ(学生ビザ)からEビザ(投資ビザ)への切り替えは大変でした。

息子が生まれた年2000年ぐらいに切り替えた記憶なので20年前だ。あはっかなり前ですね。

先ずEビザの前にHビザ←これも働けるビザです。
HビザかEビザのどちらかにするか弁護士から説明を聞きEビザに決め、スポンサーになってくれる会社はもちろん沢山の必要書類を日本の兄にお願いをして取り寄せました。

それからテキサス州だったかな?
エルパソというメキシコとの州境の街に弁護士が作ってくれた書類を持って、Eビザのスタンプをパスポートにもらいに行ってきました。
これも前回お話したように、もらいに行ったからともらえる保証はありません。
貰えるまでドキドキしました。
却下されたらどうしようか…とか
ほんと嫌なドキドキ

昔の事で記憶は定かではありませんが、数ヶ月かけて無事Eビザをアメリカとメキシコの国境の街エルパソで取ることができ堂々とアメリカで働けるステイタスになりました。

F1でアルバイトして税金納めてたとはいえ堂々と働きたかった。

子供たちを沖縄の家族に見せに行きたかった。

それが叶うEビザ。エルパソでスタンプ貰えた時はとっても嬉しかった。

ビザ取得するって簡単ではなかったので本当にスポンサーになってくれた会社には感謝です。

アメリカで働ける事で、私の人生も色々変わってったな

だって
旦那のデビッドに出会い結婚してグリーンカードが取れ、そして子供2人の親になり親としての経験やら病気でボロボロの体の私へのファミリー愛を頂けたし

40代半ばに腎不全で透析必要な身体になったけど

腎不全の一年後には乳癌0期でガン摘出手術で乳房全摘手術しました。
今は7年経って2年前からキャンサーフリー。それでも生きてるし。

まだまだ生きるよ。ばぁばになるまで

去年は心臓の弁の交換手術と生死さまよいながら6ヶ月の入院と1ヶ月半のリハビリで歩行も回復した
去年の心臓の弁の問題で血液の循環が悪くて右下腕と左指4本が壊死してしまった為、2019年3月に切断手術して2つ目の障害者となりました。

左手にはターミネーターばりの義手を作ってきましたし、右手も近々ターミネータの手バイオニックアームが完成します。

ゆっくりではありますがしっかり前に進んでるのです。

昔話に戻り、Eビザが取れてアメリカで働けて家族ができてアメリカにほんと助けられました。

障害者に優しいアメリカにも感謝しています。この国で、ばぁばになります。