Fビザ (学生ビザ)

カリフォルニアライフ 独り言

Designed by rawpixel.com / Freepik

うーん
今日は、病気の話以外のとっても古ーいお話しちゃおうかと思う。

ここでは私の闘病記書いてますが、闘病のお話以外に書きたいこともあるのです。

アメリカに来た理由とか何時頃に来たとか
今回は、懐かしい話をしたい気分。
お付き合い下さいませ。

ではでは 笑
渡米は1994年9月だった記憶 笑
26年前ですよ。 古ーい話でしょ

学生ビザ (スチューデントビザ) F1ビザとも言います。
貰えたのはたった1年でした。

丁度その頃から、ビザやグリーンカード取得が難しくなってたようで、私も30歳と若くなかったこともあり1年のビザしかおりませんでした。
でも英語の勉強しながらあっという間に一年は過ぎちゃうんですよね。
ビザが切れる前に、一度帰国してビザ延長してきましたが、それでももう一年伸びただけです。
まぁ住みたかったアメリカに2年目滞在出来るようになった事は、オメデタイ有難い事ではありました。

アメリカ滞在するには、イリーガル(違反)ではないので、良いのですが毎年更新に帰る費用も考えないといけないし更新に行ったからといって必ず更新できる保証もないわけで、ヒヤヒヤものでもありました。
だからたった1年??

うーん結果オーライで

オメデタイ おめでたかった。ありがたかった。

アメリカに来た理由は、映画のジョン トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンのグリースやアメリカングラフィティにあこがれて要するにアメリカの50年代60年代の時代にあこがれて絶対アメリカに行かなくっちゃと小学生の頃から決めていました。

でも成人して東京で仕事するようになってすっかりアメリカに行く夢を忘れてた。

28歳で7年付き合ってた彼と結婚するかしないかと悩んでる時にしないになり東京から沖縄に一人帰ったのでした。実家のクリーニング店を手伝い楽しくはしてましたが

ふっと、このまま年を取りたくない感情に押されアメリカに短期留学をする事にした。

従妹が先にアメリカにいて留学のお仕事していたので英語学校などホームステイ先など紹介してもらいお世話になりました。

晴れてF1ビザが取れ留学スタートとなりました。1996年9月でした。

アメリカに来て、ガソリンスタンドで自分でガスを入れるのにもワクワクしてた。

日本とアメリカの文化の違いをエンジョイしていましたね。とっても楽しかった。

新しい日本人のお友達にアメリカ人のお友達、多国籍人の住むアメリカなので他の国の友達もできたし恋人もいたし超楽しいハッピーな私の30代でした。

いつ死んでも悔いのない人生ですがやはり母親にもなれたのでまだ死ぬわけにはいきませぬ。

わがまま言うとばぁーばになりたい。孫と遊びたいの。抱っこは出来ない体になっちゃったけど

ほんと2年前死なずにすんで本当にうれしいのです。ばぁーばへの道がまだ残ってる

わくわくです。