Good News!!

腎不全 / 透析 闘病回想録

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今日はハッピーなニュースです。

今日透析クリニックにキドニードクター(腎臓の医者)が来ていたのでずっと前から聞きたいことがあったのにいつも忘れちゃってて聞きそびれたことを今日は忘れずに質問することが出来たのでした。

質問はと言いますと、

心臓を悪くしたこんな私でもまだ腎移植を受ける事が、出来るかということが知りたかった。

前に透析のナースに心臓の問題があると腎移植できない場合があると聞いたことがあると聞いていたのでかなり聞くのが怖かった。もちろん最後の最後までどうなるかわからないけどまだチャンスがあると知った今日は超ハッピーだぜ

腎不全は2012年、乳がん 初期は、2013年心臓の弁の手術が2018年でした。

私の腎移植の計画は心臓の問題の前にいろいろ進めていてちょっと忙しかったわけです。

なんせ大きい病気を3回も立て続けてたのと、初期とはいえ乳がんだったのでキャンサーフリーになるのに5年間は腎移植できないとの事でした。

5年待った年が2018年だったわけで

「よっしゃー キャンサーフリーになったぞー」って事で、自己負担をなるべく低くするために保険をもっと良い内容に変えないといけなかったのと、ドナー(腎提供者)は私のすぐ上の兄がなってくれるとの事でいろいろ準備で忙しかったわけです。

準備始めたのは2018年1月で心臓の弁のトラブルが分かったのが2018年の5月末でした。

準備完了したら病院で腎移植用にたくさんの検査を受けないといけませんでしたが結果願いかなわずに心臓がやられてしまい心臓の事が優先になりそして2019年には上肢障害者となりました。

なかなかの試練をいただいてしまいましたが元気です。前に進むべく次の事を考えたらやはり透析離脱したい。腎移植してまた元気になりたい。と思うわがままな私なのです。

今では歩けるし毎日筋トレしてたおかげか今では小走りが出来るようになったのです。

ちょっと変な小走りですが一応小さいけど走ってます。笑

次の目標はスキップ出来るようになる。

障害者もちょっと忙しいのです。やることいっぱいで

話それちゃったけど

それから病院に6ヶ月入院して4か月はICU(緊急治療室)で治療受けていましたね。

思い出してみると最初の病院のUSC KECKでは3ヶ月次のモンロビア メモリアルでは、1ヶ月それ以外は普通病棟でケアしてもらいました。

従妹の話だとICU(緊急治療室)から出られる人は少ないそうです。

そのまま亡くなってしまうことが多いとの事

聞いてびっくりですが、確かに私ラッキーでした。

あっそれから2つ目の病院に転院した後、担当のドクター数名がお部屋に訪ねてきてUSCから来た医療報告書を見て、アメージング(すごい)の連発でしたね。

 

アメージングなんだと思うと筋トレも頑張れたし車いすからもすぐに離脱できた。

さいしょはひょっこひょっこ歩きでしたが最近はゆっくりではあるけど歩いてるのです。

ドクターからは多分死ぬかもしれないと言われていたようで手術後に少しずつ回復してる私を見てビックリされてました。

その病院では歩く練習頑張ったね。お陰で車いすいらなくなりました。

昏睡から目が覚めて、不思議と壊死で黒かった左指と右腕したを見てビックリはしたけど悲しくはならなかった。

最初の頃は、命ある事に家族の元に帰れたことに感謝でした。

今はわがままになって、手がないことに不便と思ってる私がいる。笑

 

私にとって、ハッピーなニュースでした。

でも検査で通らないとこの夢はなくなる

実現できるように体調整えないとね。

最後まで読んでくれてありがとうございます。