アメリカに感謝

腎不全 / 透析 闘病回想録

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私は現在アメリカに住んでいます。1996年から住んでいるので24年アメリカに住んでいることになりますね。自分でも24年という長さにびっくりです。

余談はさておき、私は障害を二つ持っています。腎不全と上肢障害です。

腎不全は2012年でした。上肢障害は2018年でした。

上肢障害者になる前は腎不全の障害を持っていても透析以外の面では普通に不自由なく生活が出来ていました。

ホームビジネスで個人輸入の日本とアメリカの仲介ビジネスをしながら、主婦の仕事として家族の食事つくりに掃除洗濯 母親としての仕事として子供たちの学校行事参加や車での送迎等普通にスモールビジネスと主婦の仕事が出来ていました。

透析はどうしていたかというと、家で寝るときに毎日腹膜透析をしていました。

私の上肢障害は右下腕と左小指小以外の4本が心臓の弁の問題で酸素と血液が私の体の末端まで届かずに壊死した為去年2019年に切断となりました。

なので今書いている文章も左指一本で書いています。左利きでもないのに左手であまりきれいではありませんが字も書きます。左手の手のひらも切断されずに残っていたので何とかペンもつかめます。

上肢障害者になって思う事、今住んでいるアメリカに感謝です。

アメリカにすごく助けてもらっています。2012年の腎不全が私にとって最初の障害となったので、障害者も取れるアメリカの高齢者がもらえるメディカルというガバメントの医療保険が取れました。

透析治療の80%カバーしてくれていたので助かっていましたし20%負担で旦那さんは医療費払うので大変でした。6年後の2018年に心臓の弁の交換手術で入院してるときにカリフォルニア州の保険メディカルが取れ負担していた20%も今ではカバーしてくれます。

これからもずっと透析をしないと生きていけないので本当にありがたいです。アメリカ市民でもないグリーンカード持ちのこの日本人の私を助けてくれるアメリカに本当に感謝しています。

感謝の気持ちでいつか頑張って又頑張って働いてアメリカに恩返ししなきゃと思っていたにもかかわらず第二の障害を抱えてしまったわけです。好き好んで障害をもらってるわけではないのですが落胆してる場合でもないのでとにかく前に進むしかありませんでした。

心臓の手術後は昏睡状態だったので術後の痛みもわからなかったですし約1か月後に目が覚めたら体は傷だらけで両手真っ黒、左足の指先も真っ黒。要するに壊死しての真っ黒状態でただびっくりしました。

ずっとベッドで寝たきりだったので歩けなくなってるしドクターからは右下腕と左指は切断しないといけないと言われていたし、でも大丈夫今どきの義手はすごいからと聞かされてどうすごいかわからなかったけどバイオニックアームに興味深々で何だか心は落ち着いていましたし

右下腕と左指の切断の覚悟は出来ていました。

続きは明日書きます。